自己一致について

私が私でいてくれてありがとう

と今日も感謝しよう。

今日の養成講座では自己一致について学んだ。

「自己一致とは、内側の自分と外から見えている自分を一致させること」

学び仲間とのシェアで、「私はこれが苦手」と言ったら、「私はこれはできている」という方から「ナッキーさんはできてると思うよ」と言われた。

その言葉にびっくりしたし、「そんなことない」とも思ったけど、自己一致している人にそう言ってもらえて嬉しかった。

 

こういうのはシェアし合わないとわからないことで、この出来事だけで今日学んでよかったなと思った。

 

自己一致は自己開示。自分がありのままでいると、相手もありのままでいいと感じられるとのこと。

しばらくは「自己一致」「多様性」をテーマに過ごそうと思う。私は「かけがえのない私なんだ」と思うこと。そう思っていたら、目の前の人もそうなんだと信じられる。実験実験!

 

グランドピアノを体験する

ピアノ練習室を借りて、アラベスクを弾いてみた。しかもアップライトが空いてなくて、急にグランドピアノ。

久しぶりに弾いてみると、木だなぁという感想。思うように弾けないけど、思ったほどは弾きにくくなくて。思い切って来てみてよかったなと思いました。新しいチャレンジ、体験をすること。「実験」は私の今年のテーマです。

 

インターン応募。読書会をやってみる。どれもやってみたいけど、控えていたこと。

何を恐れているの?と自分に問いかける。見えない枠があるね。

 

時代の力、お仲間の力を借りて自分も信じてやってみる。いい感じだぞ、私。

 

反応がないのは「否定されているわけじゃなくて、今は必要ないだけ。興味のある人はすごく読んでるよ」。昨日水葵さんがライブで言ってた。まだ発信まではいかないけど、行動に移せるようにはなってきた。

まだまだやるぞ。

モヤモヤ真っ最中

自分の本心に気がついてない、浅い、そう言われてセッションしてもらえませんでした。

本当の悩みが望みが出てきたら言ってくださいと。

それから、逃げないことと。

それならと思って、昨日も今日も田舎の両親に電話しました。最近母の介護をしている父と、体も記憶も思うようにならない母と話す。話が盛り上がらないのはいつも通り。残念な気持ちもあるけど、電話一本でそろって声を聞ける幸せも感じられる。

関わって生きていくこと、大事にしたいのかも。

ネガティブこそ宝という代表の言葉をかみしめ、アウトプットしていこうと思います。

それにしてもセッションしてほしかったな。でも「悩みが深まってないと大したセッションにならない、大きな変化がない」というのもうなずける。

行動しながらしばらく考えるぞー。

自分を大事にしよう

行動できないなら思慮深さをさげる?

 

これってとんちんかんな指摘。

だって思慮深さこそ私だから。

なんというか、考えたいの。

 

だからこそ、自分の根本動機を持って(知って)、それに基づいて行動していきたい。

 

人に教わるより、自分で知りたい。

なんかコーチングよりページング、と思った朝だった。

生きるということ、どれも経験

ご飯を食べてくれる家族がいること、ご飯を作れることがありがたいなと、肉巻きを作りながら思った。

体が思うように動かなくなった母とLINE電話で話して、今あること全てに感謝だなと気づく。

 

夕飯作るのがいやでなかなか取りかかれない私だけど、それでもそんなことを思っている。

 

おやすみなさい

完璧っていいこと?

夏休み真っ盛り(笑)

宿題が気になる子供(わが家の娘)も、気にならない子供(息子w)もお母さんもいろいろです。

夏を味わってますか?

 

子供の宿題の完成度を上げようとしている人たちを見て思うこと。

「それって必要?」

必要な理由はいろいろだと思う。

自分が気がついてない理由もあると思う(母親としてちゃんとしていたいとか、ちゃんとしてると見られたいとか)。

 

でも、形式って弊害も結構ある。

顕著なのは、子供の自律性を奪うことと、「なんとかしなきゃ」と思うことで大人の焦りが生まれること。総じて、自分とつながれなくなるということ。

 

エネルギーロス。

 

私も、家の家事や片づけは「やらなきゃ」でやって疲れていることがよくある。すっきりしたいからやるんだけど、疲弊して家族に文句を言いたくなる。

「私って何をしたいんだっけ?」

 

この問いを感じながら、夏休みを過ごします。

「完璧じゃなくても、いや、ないからこそ、人ともつながれる」。このことも、より実感していきたいです。

息子らしさを観察中

自主性に任せる、ということは聞かれたことだけ教えるということ。

 

目についた事をつい、教えると、彼は自分に集中できなくなってしまう。

 

昨日、「メヌエット」のメロディーを弾きたいという9歳の息子に、音を教えた。ピアノは初めて弾くので、手つきもなんなら一本指。

「手を丸めて」「ソードレミファソーって五本指で弾けば簡単だよ」とか言いたくなったけどやめた。

 

ほどなく弾けるようになり(熱心に繰り返してた)、今度は学校のチャイムの音を探り当てていた。いつのまにかペダルを踏んだり、音を次々と変えている。

 

次の日も、気づくとピアノを弾いていた。

 

強制されず、好きに弾けるって楽しい。自由があるから。

「ピアノを楽しんで弾く」は、親が「ピアノを弾けるようになる」を手放すとやってくる。皮肉だけど。もちろん、必ずとは言えないけど、その方が勝率は上がる。

好きだったらやればいい、の精神。

やらなかったら興味がないという事。

無駄なエネルギーを子供との大事な時間に使いたくない。

 

「自分が本当にやりたいことは?」「夢中になれるものがほしい」って思っている大人って結構いる(私もその一人)。

自分とつながっていられる人生って幸せだと思うから、その子らしさを埋もれさせないよう、見守っていきたい。